イエス・キリスト最後の12時間。
タイトルのパッションとは情熱、ではなく「受難」という意味。
その名の通り、人間イエスが十字架に磔(はりつけ)にされる迄の12時間を描いた大作。というか問題作。
日本では宗教論争系ではなく、メル・ギブソンが私財を投げ打ったという程度では話題になりました。
2004年6月、
銀座テアトルシネマにて鑑賞。
非常に興味ある題材で、絶対に劇場で観たいと思っていた作品。
鑑賞後、色んな意味で劇場で観たのは正解だと思った。
大画面、音響設備などはもちろんのこと、何といっても映画館独特の雰囲気。
作品自体じゅうぶん重苦しいが、見知らぬ人たちとそれを共有することによって更に倍、深く入り込める。
身動きすらはばかられるほど息の詰まるシーンの連続。
隣の人の息を飲む音が聞こえそうなほど、身を硬くして緊張しているのが伝わりそうなほど、劇場は妙な一体感に包まれていた。
世界でもっとも信者の多い宗教であるだけに、論争というのはぜったいに起こる。
肯定派・否定派ともにそれぞれの思いはあるだろう。
しかしながら、幸いにも(と思う)日本人として生まれた私にとっては神の子イエス、という概念はさほどなく、生々しいまでの普通の人間イエスの受難ドラマとして観ることができた。
なぜ彼は人類の罪を赦し、背負って、自ら磔になったのか。
その過程がかなりわかりやすい。
宗教にまったく関心のない私にとって、納得はできないが理解のできるものだった。
理解はできるが、どうしても「え?」と疑問に感じてしまう思想も、いくらかある。
以下は私のいち個人としての考えであって、ある宗教や人物、思想を冒涜するものではないことをご理解下さい。
まず、キリスト教が選民思想の上で成り立っているということ。
それを踏まえてイエスの発言は、どうしてもおかしい。
彼が犠牲となってまで背負った人類の罪。
その人類の対象はキリスト教徒であって、それ以外は該当しない。
その証拠に、磔となった際の弟子の1人は見捨てられた。
イエスが信じる神以外の神(=モノ?)は除外すべき存在ということではないかという疑問。
こういった疑問は日本人だからこそなのかもしれないが、手放しで彼を支持する気になれない・・・。
ま、彼の思想がどうであれ、人々の為に自らを犠牲にする行為は素晴らしい。
信念もまたしかり。
こういったことを色々考えさせられた作品であるが、映像美もまた素晴らしかったと思う。
映画としての出来をどうこう言える作品ではないと思うが、監督メル・ギブソンの意気込みは買える。
イエス役のジム・カヴィーゼルも完全になりきっていた。
ハマリ役であっただろうと思う。
彼の苦痛に満ちた表情はとても深く、画面を通して心の叫びを感じることができるようだった。
時代考証や言語など当時を徹底的に再現したとされ、それに異を唱える人もいるが、あそこまでやってくれたのなら、そんな些細なことはどうでもいいではないか。
全体的にセピア色がかった美術絵画のような作品として堪能するのもまたよし。
ぜひ1人で鑑賞することをお薦めしたい。
誰かと鑑賞するにしても、上映中は会話など交わさないで観て欲しい。
魅力が半減してしまうと思うので。
それと聖書についての知識、これはあるに越したことはない。
特に新約聖書を大まかに知っていると、スムーズに世界に入っていけるでしょう。
彼氏彼女と観る場合、そういった知識をさりげなぁく散りばめてあげると得するかもだ。
でも悲しいかな日本ではタダの宗教オタと思われる恐れもある諸刃の剣、使いどころを間違わぬように。
関係ないけど、
「ドグマ」というB級現代映画にはイエスの遠い遠い子孫という女性が出てくる。
かなりふざけた内容なのだが、「赦し」がテーマになっているので機会があれば観てみてはいかがでしょー。
パッション
THE PASSION OF THE CHRIST
2004年 米・伊
監督:メル・ギブソン
主演:ジム・カヴィーゼル